原作:凸もりMk-2 執筆:円伎丸(きゃっとまん)
第6話『降霊術のすゝめ』
その弁当は未知の味がした。
いつも食べている、慣れ親しんだ一つ五百円のぼったくり海苔弁当のはずなのに、何故か、初めて食べたような感覚があった。
三分で完食した。
ひとまず二人を居間に通し、小便をしてシャワーを浴びて飯を食って、話はそれからだった。
食器を片づけた凸もりは座卓を挟んで雛子とヒメの向かい側に腰を下ろす。当然正座である。二人の顔を見れば、昨日のことを聞きに来たのだろうということはすぐに分かった。どうせ怒られるのだ。形だけでも誠意を見せておけば多少は説教が軽くなるだろうと踏んでいた。申し訳なさそうな顔を作り、目を逸らしながら軽く俯く。完璧だった。
が、
いつまで経っても、二人が口を開く様子はなかった。
暫しの沈黙。
何故、この二人は何も話そうとしないのか。昨日慌てて家を飛び出して、そのまま何の連絡もなかったことに怒っているのではないのか。怒鳴るために来たのではないのか。普段使うこともない無駄に豊富な語彙を衝動のままに詰め込んだ罵詈雑言を、気が済むまで浴びせかけてくるのではないのか。だのに、この沈黙は何だ。一体何を考えているのか。
凸もりはゆっくりと顔を上げ、雛子の顔に焦点を絞り――
雛子の鋭い視線に貫かれた。
薄っぺらい偽りなど通用しなかった。心の奥底まで見透かされているような気がした。体が硬直し、冷や汗が出た。だが、それを拭うことすらできない。動けば殺されるような気がした。
――。
ほんの一瞬だったし、それが見間違いでないと言い切ることはできない。それでも凸もりには、雛子の口角が大きくつり上がったように見えた。悪魔のような笑み。それが目に焼きついて離れない。お前の本心は分かっている。これ以上表情を作って私を騙そうとするようなら終いにはひと飲みに喰ろうてしまうぞ。そう言われているような気がした。しかし次の瞬間には、
「凸ちゃん、帰ってきてたなら連絡くらいしてよっ、今朝のニュース見て心配してたんだから!」
凸もりは今度こそ、演技でなく申し訳なさそうに俯き、最初に思い描いていた通りの構図が完成した。雛子がひとつ言えば、今度は横からヒメが、
「そうだそうだっ、バカ凸、お前みたいなのをなんて言うか知ってるか? 親の心子知らず、って言うんだ!」
いつからお前が俺の親になったんだ――そう言おうとして、雛子に睨まれ尻込みする。まったく、我ながら情けないと思う。
怒鳴られて五分が経った。言いたいことをようやく全部言い切ったのか、言葉と言葉の間が大きくなり、声が小さくなってきた。今、この場で考えながら言っているに違いない。最後には今にも消え入りそうなか細く弱々しい声で、何を言っているのかもわからない程になっていた。凸もりはここぞとばかりに反撃を開始しようとして、雛子がぽつりと、
「それで、本当なの?」
思考が停止した。
「――なにが」
雛子は不安そうに目を伏せ、
「この町で、殺人が起きた、って」
やはり――その事実を改めて人の口から聞かされると、何か、妙な気持ち悪さがあった。凸もりの視界の端でヒメの顔が恐怖の色に染まり、それをかき消すように、大声で、
「あ、あたしはっ、殺人が起きたからって、びびってるわけじゃないぞ! あたしのクラスじゃ、殺人なんて、日常茶飯事だっ」
「ああ、まあな。死因はまだはっきりしてないが、殺人だと思って間違いないだろうな」
無視をするのにも慣れたものだ。殺人が起こるクラスとは学級崩壊なんてもんじゃねえな、とか何とか思いながらも凸もりは顔色一つ変えず雛子の質問に答える。
「それにしても、まさか、この町で殺人なんてね……」
雛子はため息をついて、
「そんな恐ろしい事件が起こるなんて、考えもしなかったわ」
本当に、その通りだと思う。前の職場じゃ殺人なんて珍しくもなかったのに、やはり違うのは、事件との「距離」であろうか。道を歩けば目に入るのは知り合いばかりの田舎町で、事件のほんの少し前まで話をしていた少女が殺された、となれば、やはり今の心境も当然のものなのであろうか。あと数千人ばかりこの町の人口が多くて、あと数日ばかり彼女と話をするのが早かったら、ここまで落ち込むこともなかったのだろうか。そうなのかもしれない。否定はできない。関わってしまったから。ただそれだけの理由で悼まれているのだ。あの子も報われないな、と思う。自分の行動が少しばかり違えば、あの子は死ななかったかもしれない。そこに責任を感じて、だからここまで落ち込んでいるのだ。あの子に対しての情なんて、ほんの少しだってないのかもしれなかった。
言葉より先にため息が漏れた。何か言おうとしても、その言葉がため息となって消えてしまう。それでも何とか言葉にしようとして、やっとの思いで、
「……そうだな」
雛子は続く言葉を待つが、凸もりは一向に口を開かない。長い沈黙の後雛子は、おい本当にそれだけかまだ言うことはないのか、というような顔をして、仕方がなさそうに、
「まだ捕まってないの?」
そう聞くと、凸もりは頭の上に疑問符を浮かべてこっちを見た。ここまでくると雛子も苛立ちを抑え切れず、怒鳴るように言った。
「だからっ、犯人よ、犯人はまだ捕まってないのかって聞いてんの! あんた知ってるでしょ?」
いきなり怒鳴られて、凸もりはひどく動転しながら、
「ああっ、ええと、犯人は、確か、凶器が、昨日っ、見つかってなくて、捜査した時は、それに、死因も、だからっ、ま、まだ、わからない、けどっ、多分、まだ、」
「調査中」
「――え」
意識の全く外からの言葉だった。見れば、無視され続けていつの間にか部屋の隅で不貞腐れていたヒメが、抱えた膝に頭を乗せてこちらに視線を向けていた。ヒメは膝に頬を押しつけて口を歪ませながら、
「今朝のニュースで言ってたぞ、まだ調査中だって。おねえも見ただろ?」
が、雛子はその質問に答えない。
「ヒメ、なんで拗ねてるの?」
雛子がおかしそうに笑いながら聞き返すと、ヒメは壁の方を向いて、耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声で言った。
「むし」
ヒメは膝に顔をうずめて、再び、
「二人してあたしを無視するなんて、人間のすることじゃない。冷酷だ。残忍だ。二人には血も涙もないのか」
小さくてくぐもった、見事な涙声だった。
「あたしが、どんな気持ちで、言ってたか。あたしをただの馬鹿だと、思ってるんだろ。だから、無視したんだろ。違うぞ、あたしは――暗いのは二人だって嫌だろ? だから。なのに」
そして、最後にひと言、
「ひどい」
何言ってんのあの子は――雛子はため息をつく。
なあんだそんなことか――凸もりは苦笑する。
――何かどえらいことでも起きたのかと思ったら。
なんてことはない。要するにヒメは、暗い話になりそうだったからわざとふざけたことを言ったのに馬鹿だと思ってまるっきり相手にされなかったのが寂しかった、と言いたいわけだ。
結構。
子供らしくて可愛い理由ではないか。
無視こそしたが、別に馬鹿だと思っていたわけではないし、ヒメの真意には気づいていた、というようなことを言って慰めると、ヒメはすぐに泣き止んだ。それでもぐじゅぐじゅと鼻をすすりながら雛子に向き直り、
「おねえ、大丈夫だぞ。私が継承した一子相伝の暗殺拳で、犯人を無残に飛び散らせてやるわ」
ここで突っ込むのは野暮というものだろう。凸もりは立ち上がり、二人に背を向けた。
雛子は笑う。
「ありがとう」
再び、凸もりはあの河原にいた。
さっきからため息が多いのは、ついさっき踏んづけた犬の糞のせいだろうか。それとも、交番前の自販機に吸い込まれた五百円のせいだろうか。それとも、半ば無理やりに結ばれた戸越家での夕飯の約束のせいだろうか。それとも、
凸もりはこれで何度目かもわからぬため息をついた。大きな理由は簡単にふたつ。
ひとつめ。事件の捜査は難航していて、新たな情報はほとんどなかったらしい。わかったことはたったひとつ。
そしてふたつめの理由は、その「たったひとつ」の新たな情報だ。それは、平川ナツの死因についてだった。
殴打死――後頭部に鈍器で殴打を受け、即死だったらしい。が、死ぬ前に長く苦しむようなことがなくてよかった、などとは口が裂けても言えなかった。遺体には、直接の死因とはなっていないが身体中に傷や痣があり、それはつまり、
今度はため息ではなかった。ため息を噛み殺し、そのままぎりぎりと歯を食いしばる。
まだ13歳の少女に対して、ただ殺すだけでなくあんな傷が残るほどの暴行を加えるとは、なんとも残酷な話だ。果たして、人間にそこまで惨いことができるのか。
そう思って、凸もりは薄く笑った。
ああできるとも。もっとひどい事件をお前は今まで腐るほど見てきただろう。それとも何か、この事件は化け物の仕業だ、とでも言うつもりか。そんなわけがないだろう。歴とした人間が起こした事件に決まっている。田舎のぬるい空気に首まで浸かって心まで鈍ったか。思い出せ、あんなのはまだぬるい。何度も何度も関わってきただろうが。首なしもばらばらも、腸を全部ぶち撒けられたもっと残酷なモノも幾度となく目にしてきたではないか。最後にはそいつらに対して何の感情も抱かなくなったのはどこのどいつだ。今更善人面して、悲しそうな顔を繕うな。またいつものように、事件の解決だけを考えていればいいんだ。事件直前の彼女に関わってしまったから悲しいか。結構。そう思うなら死ぬ気で事件を解決しろ。犯人をとっ捕まえたらできるだけ刑が重くなるよう頭を使え。彼女の残された家族のために家を売れ。腎臓を売って肝臓を売って、身体の全てを金に変えて贖え。できないか。結局自分が大事なだけか。
ため息ではない。大きく息を吸って、吐いた。
そうだとも、その通りだ。拭い切れない後悔の念も、結局のところは自分を守るためだ。
だからなんだ、と思う。それでいけないということがあろうか。どんなことだって、突き詰めれば自分のためなのだ。自分のために彼女を悼み、自分のために事件の真相が知りたい。それだけだ。何の問題もないだろう。ただそれだけで充分だろう。
凸もりは唐突に足を止めた。
――ここで、彼女と会ったんだよな。
目を閉じる。
太陽の光が透けた瞼の裏側に、昨日の彼女の姿が浮かんでいた。
――ほんとうに、解決してくれるの?
あの時、そう言って彼女は、
――私、ずっと、ずっと探してるんだけど、ここで、なく、なくしちゃって、た、大切な物なの。なのに全然見つからなくて。
そうだ。
もしかしたら、事件には関係ないことかもしれないけれど、それでも、
彼女は、何かを探しているらしかった。その何かを見つけることこそ、今の自分がすべきことなのではないか。これは、自分しか知らないことだ。事件の解決よりも、自分にとってはよっぽど重要なことだった。犯人なんていずれ捕まるのだ。だったら、あの子のためにも、
あの子が探していた何かを、代わりに自分が見つけてあげよう。そう思った。
もとよりそのつもりだっだ。
準備は万端だった。
両手には使い古した軍手。頭には白いタオルを海賊巻き。防虫スプレーを身体中に吹きかけ、ディートの臭いをぷんぷんさせていて、道中自販機で買ったスポーツドリンクはまだ冷たい。
凸もりは背の高い草を掻き分けて、捜索を始めた。
五時間――いや、六時間か。やはり、何も見つからない。が、それもまあ当然だ。自分は、彼女が何を探していたのかさえ知らない。最初から見つかるはずなんてなかったのだ。せめてあの時、彼女にそれを聞いていれば――今更遅いが、そう思わずにはいられなかった。
凸もりは、その場に座り込んで息をついた。これだけ探しても、あの子が探していても不思議ではないような珍しいものは何も見つからなかった。探し始めた時から変わったことといえば、軍手に穴が空き、タオルがびしょびしょに濡れ、ディートの臭いが消え、スポーツドリンクのボトルが空っぽになり、そして、
『うるさいぞクソ巫女がっ! 暑い暑いって、何度も言うと余計に暑く感じるだろうが!』
『魔理沙こそうるさいよ、私がどこで何言おうが勝手でしょ!』
この二人だ。二匹、と言った方がいいのだろうか。霊夢と魔理沙、騒音コンビは今日も絶好調だ。ついさっき唐突に現れ、どうでもいい言い争いを続けている。こいつらの出現がなければもう少し探すこともできたかもしれない。が、ただでさえ疲れている時に傍でくだらない言い争いをされては、もう探す気にはなれなかった。言う。
「お前ら、さっきからうるさい。どっか行け」
霊夢が、
『おっと、やっと口を開いたらそれ? いきなりどっか行けっていうのはひどいんじゃない?」
無視。魔理沙が、
『まあまあ、そう邪険にするなって』
無視。再び霊夢が、
『そうだよねえ魔理沙、せっかく私が、』
こいつらの言葉は端から聞く気はない。また無視しようとして、霊夢の口から驚天動地のひと言が飛び出した。
『探し物を教えてやろうと思ってたのに』
「は」
声が漏れた。疲れすぎて幻聴が聞こえたのだと思った。意味がわからなかった。
「――なんだって?」
が、二匹はきょとんとして答えない。
「今、探し物を教えてくれる、って、言ったか?」
霊夢は少し意外そうな顔をして、
『へえ。あんたでもこういう話に食いつ』
キレた。
「いいから教えろ! 彼女が、平川ナツが落としたものって、一体なんなんだっ!!」
「……………………いや、私は知らないんだけどね」
「は?」
からかわれたのだと思った。こういう冗談はいつものことだし、今回のもそれだと思った。が、今回ばかりは笑い事じゃ済まない。人が死んでいるのだ。凸もりの怒りは限界を越えて、
過ぎた怒りは、逆に凸もりを冷静にさせた。
――「私は」?
霊夢は語り始める。
『それを教えるのは私じゃない。私はただ、その手助けをするだけ。あの子が探してた物を知りたいって言うなら、直接聞いてみればいいんだよ。これからここに、平川ナツを呼ぶよ』
死んだ人間を呼ぶ? そんな馬鹿な話があるか。ふざけるのもいい加減にしろ――そう言おうとして凸もりは口を開きかけ、霊夢に機先を制された。
『それが不可能じゃないんだ。今から私の、神に仕える巫女の能力・お死らせを発動するね』
そう言って、霊夢は意味不明の呪術のような言葉を発する。詠唱だった。それが聞き取れないのは霊夢の滑舌が悪いせいか、それとも詠唱が始まった瞬間から激しい耳鳴りに襲われているせいか。草は揺れず、風を感じた。川の流れは照らされず、光を感じた。
白。
目をぎゅっと閉じているのに、その光は、瞼を貫いた。そして、
随分と成長したと思う。小さい頃はまさか、ここまで大きくなるとは思わなかった。身長は百八十を優に越え、体格もだいぶがっしりしている。通学路を今歩いたら、その短さに驚いた。小さい頃は学校へ行くだけでも大冒険だったのに――自分が大きくなったのではなく、世界が小さくなったのではないかという錯覚を覚える。しかし何より成長を実感できるのは、手だ。身長や体格も、初めのうちは成長しているのがわかったが、あるところからは年に一度の身体測定の結果を見ないとわからなくなった。それに比べて手は毎日使う。その中で、手の大きさが変われば嫌でも気づく。友達と手の大きさを比べあったことは、今でも忘れない。
白い世界の中で、
――小さかった。
小さくて、細くて、冷たくて、どこまでも弱々しい手が、凸もりの手をぎゅっと握った。
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